のうみそ日記

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夢と現実とドッペルゲンガー(2021/11/4)

授業で書いたエッセイです。漢字の成り立ちと、故事成語を絡めてエッセイを書きなさい、という課題でした。

 

 

夢と現実とドッペルゲンガー

 

私は夢をよく見る。私は「居眠り姫」というあだ名をつけられたことがあるほど人と比べてよく眠るので、その分夢もよく見る。好きな歌人小野小町が夢に関する和歌を詠んでいることもあり、なんとなく、「夢」は私の人生のキーワードのひとつとなっている。

 

では「夢」という字の語源をご存知だろうか。最初から「夜眠っている時に見るもの」という意味があったのかというと、そうではないらしい。辞書を引くと「夢」という字は、夜を意味する「夕」の部分と、目のはっきり見えない意を表す部分から成り立ち、本来は「夜の暗い」ことを表す文字だったとあった。目のはっきり見えない意を表す部分は「羊の赤くただれた目」を表す象形文字から来ているという。なんだか怖い由来である。

 

暗い、はっきり見えないという由来を聞いて、私は昔見たとある夢を思い出した。薄暗い家の中に、妹のドッペルゲンガーが現れる夢だ。夢の中で、何故か妹は平然としていて、ドッペルゲンガーはニタニタ笑っていた。「ドッペルゲンガーが現れると、元の人間は死ぬ」という都市伝説を聞いたことがある人がいると思う。私は夢の中でそれを思い出して震え上がり、そのまま涙目で目が覚めた。時計を見ると朝の六時だったが、部屋は夢の中と同じように朝とは思えないほど薄暗く、一刻も早く夢での恐怖を忘れたい私は部屋の電気を点けようとした。しかし、いくらスイッチを押しても電気がつかない。部屋の電気も机の電気もつかない。「そんなはずはない。どうして。」と焦っているところに追い打ちをかけるように家の電話が鳴った。こんな早朝に電話が掛かってくることなんてあるはずがない。そこで私はこう考えてしまった。「私はまだあのドッペルゲンガーの夢から覚めていなくて、この家にはまだあいつがいるのだ。」と。もう私は恐怖で動けなくなった。すると次の瞬間、なんと母が起きてきて電話をとった。電話の相手は、父だった。  

  

なんとも馬鹿げた話なのだが、出張のために朝早く出なければ行けなかった父はその日寝坊をして、慌ててレンジとポットと髭剃りを同時に使ったところブレーカーが落ち、それを直す間もなく家を出たそうだ。無事予定の電車に乗れたので、ブレーカーを落としてそのまま出てきたことを謝るために電話をかけてきたという訳だ。ドッペルゲンガーの夢から抜け出せずに死ぬのだと本気で思い込んでいた私は、夢と現実の謎のシンクロによって、二度とあんな思いはしたくないと思うほど怖い思いをさせられたのだ。

 

「夢なのか現実なのか分からない」という話に関連して、中国の思想家・荘子による有名な説話がある。「胡蝶の夢」だ。この話が示す「夢が現実なのか、現実が夢なのか私たちは証明することができない。」ということを、私はあの日身をもって体験した。今でもふと「今現実だと思っているのは本当に現実なのか」と怖くなることがある。

 

現在、人間が夢を見るメカニズムは科学的に解明されていない。漢字の成り立ちに表れているように、「夢」の謎は暗闇に包まれている。実はドッペルゲンガーの夢には続きがあって、最初の夢から半年ほどかけて、私は父、母、自分のドッペルゲンガーに出会う夢を見た。このことを友人に話すと、「何か悩んでいることがあるなら言ってね。」と心配された。夢には深層心理が表れると言われるからだ。正直、もう二度と夢と現実の境目が分からず恐怖するような体験や、暗示掛かった夢を見るような体験はしたくない。なので私は、一刻も早く夢を見るメカニズムやが科学的に解明されることを望んでいる。